足利事件について、受刑者であった菅家利和さんが釈放されたニュースが大々的に報道されています。
私たちは、菅家さんの今後の生活を支援するとともに、この事件からは、今後のための教訓を得なければなりません。そこで以下、毎日新聞2009年6月5日等を参考に、以下に時系列で事件・裁判経過を整理してみました。整理してみると、とても多くのポイントに気付かされます。ご参考に、アップします。
<経過>
90年5月13日 女児の遺体発見
91年8月 女児の半袖下着の体液と菅家さんが捨てたごみのDNA型についての「DNA鑑定」
※このゴミ袋は捜査機関による無断持ち去りとのこと
91年12月 菅家さんを逮捕、起訴
91年12月1日朝 菅家さん任意同行
同日午後10時ごろ 「自白」
※菅谷さん:「刑事に髪を引っ張られたり、け飛ばされたりして『早くしゃべって楽になれ』と厳しく追及された」「夜まで『自分はやっていない』と言ったが、受け付けてもらえず自白してしまった」
※12月1日毎日新聞
「元運転手、きょうにも聴取 現場残存資料、DNA鑑定で一致」
「(栃木県足利市での前年5月の女児殺害事件で、)同県警足利署捜査本部は30日までに、身辺捜査していた同市内の元運転手(45)の体液と遺体発見現場に残されていた資料をDNA(デオキシリボ核酸)鑑定で照合したところ「一致する」との鑑定結果を得た。このため捜査本部は1日朝にも元運転手に任意同行を求め、事件との関連について事情聴取を始める。(以下略)」
※12月03日読売新聞
「難事件を解決したDNA鑑定」
「栃木県足利市の河原で昨年5月、4歳の幼女が殺されていた事件で、45歳の元保育園運転手が逮捕された。容疑者は性的異常者と見られるが、自分の欲望のために、罪もない無抵抗な幼女を殺害する犯行は、憎んでも余りある。同市周辺では、昭和54年から3件の幼女殺害事件が未解決のままだ。絞殺して遺体を河原に捨てる手口などから、捜査当局は、この男との関連性を追及している。これほどの犠牲者を出す前に、容疑者を逮捕していればと思うと残念だ。(以下略)」
※なお、1979年、1984年の幼女殺害事件についても自白し、足利事件起訴後に再逮捕(1979年事件について)もされたが、処分保留のまま釈放、1993年1月に両方の事件とも不起訴となった。
92年2月 初公判、起訴事実を認めた
※証拠品の着衣を見せて確認する検察官に対して
「これは女児のものか」「はい、そうです」
※菅家さん:当初の心境について
「傍聴席に刑事がいるとびくびくしていたため、無罪を主張できなかった」
※ここで検察側161点証拠請求につき、弁護側はDNA鑑定に関する鑑定書3通以外の全証拠に同意したとのこと( http://www.watv.ne.jp/~askgjkn/nenn.htm )
6月 被告人質問
「『自転車に乗るかい』と声をかけて女児を誘い、乗せたが、気が変わり、わいせつ目的が生じた。抱きついたら声を出して騒がれたので、とっさに手が首にいってしまった」
12月 第6回公判で起訴事実を一転否認
※その後 裁判所に「自白」上申書提出
…家族に無罪を訴えた手紙を書いた理由を説明する中で「心配をかけると思い無実だと書きました。(極刑かもしれないと)怖くなってやっていない、と話しました」と説明
93年1月 第7回公判で起訴事実を再び認める
3月25日 検察側が無期懲役を求刑
弁護側がDNA鑑定に証拠能力がないと無罪主張
6月24日 第10回公判で再び否認。再度論告弁論、結審
7月7日 宇都宮地裁無期懲役判決
※判決内容(自白の信用性、供述の変遷に関する量刑理由)は下記の通り
(※控訴審から佐藤博史弁護士受任、「一審の弁護士から『菅家さんは犯人である』と聞いていました」)
96年5月9日 東京高裁が控訴棄却
※判決内容(ごみ袋収集の違法性、自白の信用性)は下記の通り
00年7月17日 最高裁が上告棄却。無期懲役確定
※判決内容:「記録を精査しても、被告人が犯人であるとした原判決に、事実誤認、法令違反があるとは認められない。なお、本件で証拠の一つとして採用されたいわゆるMCT118DNA型鑑定は、その科学的原理が理論的正確性を有し、具体的な実施の方法も、その技術を習得した者により、科学的に信頼される方法で行われたと認められる。したがって、右鑑定の証拠価値については、その後の科学技術の発展により新たに解明された事項等も加味して慎重に検討されるべきであるが、なお、これを証拠として用いることが許されるとした原判断は相当である。」
02年12月 宇都宮地裁に再審請求
08年2月13日 宇都宮地裁が再審請求を棄却
2月18日 弁護団が即時抗告
10月 東京高検がDNA再鑑定に反対しないとの意見書提出
12月 東京高裁の即時抗告審でDNA再鑑定を決定
09年5月18日 東京高裁が遺留物と菅家さんのDNA型が一致しないとの鑑定書を検察と弁護団に交付
5月19日 弁護団、東京高検に対し、無期懲役刑執行停止と釈放を要請
参考:足利事件HP
http://www.watv.ne.jp/~askgjkn/
田村譲松山大法学部教授HP
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/asikagajikenn.htm
佐藤博史弁護士インタビュー記事
http://allatanys.jp/B001/UGC020006020090508COK00288.html
・地裁判決内容抜粋
(判例タイムス820号177ページ)
「そこで次に、被告人の自白の信用性について検討すると、前掲各証拠によれば、被告人は、本件により初めて取り調べを受けた当日に犯行を自白し、以後捜査段階においては一貫してこれを維持し、公判でも最終段階に至るまでほぼ自白を維持していたのであり、途中、M1を誘い出した目的など犯行の状況について捜査段階と一部異なる供述を法廷でした際にも、M1殺害という犯行の基本的部分についてはこれを認めていたこと、右自白に際して捜査官の強制や誘導が行われたことを窺わせる事情はないこと(検察官作成の捜査報告書からは、被告人は自発的に供述していることが認められる。)、捜査官や裁判官に対してだけでなく、弁護人に対してもほぼ一貫して事実を認めていたことが認められる(なお、被告人は、精神鑑定を行った医師に対しても、同様の供述を行っている。)。
また、自白内容についてみると、例えば、第一回公判期日において、証拠物であるM1の着衣についての記憶の有無を尋ねられた際に、記憶にある物とない物、あるいはおおむね記憶に残っている物をそれぞれ区別して述べるなど、供述内容は捜査、公判段階を通じて相当具体的であるとともに、その内容は自然であって、格別疑問を差しはさむべき点は認められない。
そうすると、本件犯行を認めた被告人の自白は信用することができ、先に挙げた事情とあいまって、被告人がM1の殺害等を行ったと認めることができる。」
「なお、被告人は、本件による起訴後間もない時期から、被告人の兄弟等に宛てた手紙に自分は無実である旨書いていたことが認められ、第六回公判期日の被告人質問において、裁判長や検察官の質問に対しては犯行を認め、申し訳ないことをしたなどと述ベていたものの、その直後に弁護人から右手紙について質問されてからは一転して犯行を否認し、第七回公判期日で再び自白に転じた。そして、犯行を認めたまま第九回公判期日で一旦弁論が終結したものの、被告人はその約二か月後に再び犯行を否認する旨の手紙を弁護人に送り、再開後の公判でも犯行を否認するに至っている。
そこで、右否認について検討すると、被告人が否認に転じたのは、犯行への関与の有無という、まさに自分が重い刑に処せられるか、あるいは無罪となるかの分かれ目となる最も基本的部分についてであって、被告人もこの点に最大の利害と関心を持っていたはずであるにもかかわらず、第六回公判期日に至るまで弁護人に対しても事実を認めていたこと、また右期日以降も、否認を維持することが可能であったにもかかわらず、間もなく再び自白に転じたように、否認の態度自体が極めてあいまいであること、公開の法廷においてはもちろんのこと、多数の関係者に対して犯行を自白しながら、後になってそれを再三にわたり変転させたことについて、被告人自身その理由をはっきり述べていないことにも照らすと、これらの否認供述はたやすく信用しがたい。特に、右兄弟等への手紙についてみると、その内容は、拘置所での生活のつらさを訴えたり、兄弟等に対して差入れ等を要求する等の記載が主で、無実を訴える部分は付随的に書かれているものがほとんどであって、いわゆるアリバイなどを含めた無実の具体的内容に関する記載は存在しない。そして、右手紙を書いた理由につき被告人が公判で供述するところにも照らすと、被告人としては、拘置所で暮らすようになってそれまでの生活が激変し、大事件を起こしたとして肉親からの面会もなく寂しかったことから、見捨てられるのを恐れ、無実を訴えた可能性が高い。また、第六回公判期日での否認についても、その直前に、極刑を望むとのM1の両親の手紙が証拠調ベとして朗読されていることからすると、被告人は、これに動揺し、兄弟等ヘの手紙に関する弁護人の質問を契機に一時否認に転じたものと考えられる。さらに、弁論が一旦終結した後に被告人が再び否認に転じたこと及び判決を一か月後に控えた時期に弁護人に前記の手紙を出したことの理由については、判然としないところがあるが、否認の態度自体のあいまいさなどに照らして、これをたやすく信用できないことは先に述べたとおりである。
そして、先にもみたとおり、被告人の自白が具体的かつ自然で信用できるものであり、これを裏づける客観的証拠も存在するのであるから、被告人の否認によっても先の事実認定は左右されない。」
「ところが、被告人は、被害者の両親に対して謝罪を行うでもなく、また、公判で一時「被害者に対して申し訳ない。」などと述べておきながら、最終的には犯行を否認するなど、自己の行為を真撃に反省しているとはいえない。」
・高裁判決内容
(判例タイムス922号296ページ)
「 被告人が投棄したごみ袋収集の違法性
所論は、本件DNA型鑑定は、現場資料との異同比較の資料として、被告人が投棄したごみ袋の中のティッシュペーパーに付着していた精液を用いて行なわれたが、捜査官がこのようなごみ袋を収集して内容物を犯罪捜査に用いることは、ごみとして焼却処分されるものと了解して投棄した被告人の意思に反する事態であり、捜査官の任意捜査活動として許される範囲を逸脱し、個人のプライバシーを著しく侵害するものとして違法であるといわなければならず、また、本件の捜査では、被告人以外にも、投棄したごみ袋を捜査官に開披され内容物を見分されてしまった者が少なからずあったであろうから、このような、広範囲の、著しいプライバシー侵害を伴う捜査方法を将来にわたって抑止するためにも、本件ティッシュペーパーを証拠資料に用いることは禁止しなくてはならず、これと一体をなす本件DNA型鑑定の結果も、違法収集証拠そのものとして、証拠能力が否定されなくてはならない、と主張する。
検討するに、関係証拠によれば、平成二年一一月初めころ、本件の被疑者として被告人が捜査の対象に浮かび、同年一二月初めから捜査員がほとんど連日にわたりその行動を密かに観察していたが、本件ティッシュペーパー五枚は、翌平成三年六月二三日、捜査員が福居町の被告人の借家付近で張り込み中に、被告人がビニール袋を右借家に程近いごみ集積所に投棄したのを認め、午前一〇時一〇分ころこれを拾得して警察署へ持ち帰り、内容物を見分して発見したものであって、警察官が特定の重要犯罪の捜査という明確な目的をもって、被告人が任意にごみ集積所に投棄したごみ袋を、裁判官の発する令状なしで押収し、捜査の資料に供した行為には、何ら違法の廉はないというべきである。」
なお高裁判決中自白の信用性判断部分については、上記判例タイムス誌上では省略されていますが、その解説中で、「結論として、被害者の半袖下着に付着していた犯人の精液を資料にして判定されたABO式血液型、ルイス式血液型の2種の血液型ばかりでなく、MCT118法によるDNAの型が被告人のそれと合致すること、被告人の性行、知的能力、生活ぶり、本格的事情聴取の初日に早くも被告人が自白し、捜査官の押し付けや誘導などがなかったことを被告人自身認めながら、犯人であればこそ述べ得るような事柄について客観状況によく符合する具体的で詳細な供述をしたことなど本件の関係証拠を総合すれば、被告人の原審の審理後半以降当審にいたる犯行否認の供述にもかかわらず、被告人が被害者を猥せつ目的で誘拐して殺害し遺棄したことを認定するについて、合理的疑いを容れる余地はないというべきである、と述べている。」と触れられています。