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2006年8月13日 (日)

「クロワッサン『日常生活の中の差別』」

 妻が買ってきた雑誌「クロワッサン 8月25日号」(マガジンハウス)に載っていた記事を紹介します。

 この雑誌には、「日常生活の中の差別」という連載があります。この連載では毎回、何らかの「差別」に関する活動にかかわっている人を紹介しています。

 このような雑誌の中で、非常に貴重なコーナーです。

 今回紹介されていたのは、弁護士の山口元一さんでした。

 山口弁護士は以下の事件の原告代理人で、今回の記事でも、この事件が紹介されていますす。

(以下、毎日新聞2006年3月1日より引用)

国籍確認訴訟:フィリピン女性の子、逆転敗訴 「国籍認める規定ない」--東京高裁

 フィリピン人の母親と日本人の父親との間に生まれた男児(8)が、出生後に父親から認知されながら、両親の未婚を理由に日本国籍が認められないのは法の下の平等を定めた憲法に違反するとして国籍確認を求めた訴訟の控訴審判決が28日、東京高裁であった。浜野惺(しずか)裁判長は「男児に国籍を認める規定は国籍法にない」と述べ、訴えを認めた1審・東京地裁判決(05年4月)を取り消し、請求を棄却した。1審は国籍法を違憲と判断し国側が控訴していたが、同高裁は憲法判断は示さなかった。男児側は上告する方針。

 男児は母親とともに関東地方で暮らす小学校2年生。出生後の99年10月に認知され、03年2月に法務局に国籍取得を届け出たが認められなかった。父親には日本人の妻子がいる。

 争点となったのは、未婚の男女間に生まれた子(非嫡出子)の国籍取得について定めた国籍法3条の規定。母親が外国人で父親が出生後に認知した場合には「父母の婚姻」を国籍取得の要件としている。

 1審は、父母の婚姻を要件とした同条を「違憲で無効」と述べ、男児の国籍を認めた。しかし、高裁判決は「仮に3条の規定が無効であるとすれば、要件を満たした子供に国籍を認めた規定の効力が失われるだけで、原告が国籍を取得する制度が創設されるわけではない」と指摘した。

 ◇不意打ちで想定外--弁護士批判

 判決後に会見した原告側代理人の山口元一弁護士は「不意打ちで想定外の判決。国籍法3条の憲法判断に踏み込まず、形式的に処理している」と批判した。

 1審判決は「価値観が多様化している今日、父母が法律上の婚姻関係にある家族が正常で内縁関係は正常ではないということは困難」と指摘。両親が内縁関係で共同生活を営んでいれば国籍取得の要件は足りるとし、3条の規定を違憲と判断した。国籍法の別の条項が争点となった訴訟の最高裁判決(02年11月)でも、裁判官5人のうち2人が3条について「違憲の疑いが極めて濃い」と補足意見を述べた。

 男児の実弟は出生前に認知されたため日本国籍を取得しており、兄弟で国籍の有無が分かれている。【武本光政】

(以上引用終わり)

 なお、事件の具体的内容と一審判決については、山口弁護士自身が、http://www.jicl.jp/now/saiban/backnumber/kokuseki.html(法学館憲法研究所HP)に寄稿されていますので、そちらもあわせてご参照ください。

 さて、「国籍」という言葉は多くの方(=「日本人」)には自明のもののように思われていますが、この社会に暮らしている方の中には、この事件のフィリピン国籍の子どものように、この「国籍」という言葉ゆえにその人生を振り回されている方もいます。

 実は、この日本社会で「日本」という国家が明確に意識されたのは、たかだかここ200年足らずである、といわれています。昔の人は、「国」の存在というものをそれほど明確に意識して生活してきたわけではなかったようです。
 その後、歴史の流れの中で「国」「国家」というものが意識され確立されてきたのにはそれなりの理由と経緯(その是非・評価は別として)があるようなのですが、今回の上記事件のような問題を考えるには、「国籍」を自明のものとせず、「国籍」ってなんだ、「国家」ってなんだ、という問題の根幹までさかのぼって、社会の一人ひとりが、自分の頭で考える必要があると思われます。

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