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2006年7月14日 (金)

犯罪報道(加害者・被害者氏名)は匿名であるべきか(広島の事件から考える・その2)

 7月9日のブログで引用した木下あいりさんの事件報道に関する記事には、いくつかの論点が含まれます。

 先日の投稿ではそれらを十分に検討できなかったので、ここであらためて、諸論点のうち以下の2点について検討してみたいと思います。

1 犯罪報道は匿名であるべきか
2 被害者には被害発生直後から専門家によるサポートを保障すべきではないか

1 犯罪報道は匿名であるべきか

 この問題には、①加害者氏名は匿名報道である必要はないか、という問題と、②被害者氏名は匿名報道にすべきではないか、という2つの問題が含まれます。

(1) ①については、たとえば同志社大学の浅野健一教授(元共同通信記者:http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/)は、以前から、完全匿名報道を主張されています(「犯罪報道の犯罪」(講談社文庫)など)。
 その理由は、加害者氏名を匿名にしても報道の使命は十分に果たされる、それ以上に実名報道をすべき公共上の理由はない、というところにあるようです。

 大胆な見解ですが、検討の必要は十分にあるように思います。
 たしかに、報道の使命(憲法上保障される「報道の自由」の意義)は社会で起きたある事実を広く伝えることにあるし、究極はそれに尽きるのだから、伝える必要があるのは、たとえば「これこれの理由によりこういうことが起きて、その結果こういうことになった」ということで足りるとも考えうるように思います。

 しかし、さかのぼって、はたして「事実」とは何でしょうか。
 Aさん、Bさんという抽象化された「人間」ではなく、特定のたとえば「松原」が行なったという人的個性と「事実」とは、やはり不可分であるように思われます。
 そして特定の人間の個性を表象するものが氏名(実名)であるならば、実名報道を認めざるを得ず、それを否定するには相当の優越的利益(ただし、可否の判断基準が「優越的利益」すなわち「利益の比較衡量」でよいのかについては、意見を留保します)が必要と思われます。
 ここにいう「優越的利益」として検討されるのは、たとえば加害者が少年であることなどが考えられるでしょう(その是非はここでは論じません。また仮に少年を匿名としても、被害者に実名を教えることの可否は、また別の問題です。)。

 なお、加害者実名報道は加害者のみならずその家族の生活にも重大な影響を及ぼしますし、更生意思のある加害者の更生への障害になることも予想されます。したがって実名報道を原則として認める場合には、同時に加害者の更生のための十分な制度的手当(前科に対する社会的偏見の除去も含みます)も不可欠と考えます。それがあって、初めて犯罪実名報道は社会的に有効に機能することでしょう(その点、とくに「人はなぜ/どのように罪を犯すのか」についての社会的認知に、今後実施される裁判員制度で得られる社会的経験が、大きな役割を果たしうると期待しています)。

(2) ②にについては、とくに少年事件で加害者が匿名報道されている場合に、なぜ被害者だけ実名なのか、という形で問題が顕在化します。

 これも、「事実」にとって実名が重要な要素であると考えれば、実名報道を一般的に否定すべきではなく、それを否定するにはそれなりの「優越的利益」(判断基準については上に同じく意見留保)が必要なように思われます。ここにいう「優越的利益」には、「被害者の心情・生活の安定」が含まれるでしょう(一般論としては、これは報道の自由に対して相当程度「優越」すべきように思います)。

 なお実名報道の前提として報道される者に対するに対するサポートが重要であること(とくに、犯罪被害についての社会的理解の深化と、いわゆるメディア・スクラムの防止)は、被害者についても同様です。被害者の実名報道も、被害者への十分なサポートがあって、初めて社会的に有効に機能すると考えます(実名報道による「二次被害」の大きな原因はここにあるのではないか、と思われます)。

(3) 以上の①②と考えてくると、③について、匿名・実名の選択は基本的に被害者の選択にゆだねるべき(被害者自身による「利益の放棄」は認めるべき)ではないかと思われます。もっとも、そこにいう「被害者」とは誰をさすのかという問題がありますし、またその問題をクリアしたとしても、被害者が常に適切な選択をできるかということは別問題であって、被害者に選択権をゆだねる場合、そこには選択権を適切に行使する前提としての十分なサポートが必要と思われます。後者は、2の問題に関連します。

 長くなったので、2についての検討はまたの機会にします。

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